Twitterを真面目に見るのやめたって話。
はいはい、ナツハシさんですよ。
Twitterって今や誰でも知ってるツールでネットにつながる端末があれば誰でも登録できるようになりましたね。(年齢制限はあったっけ?)
私もTwitterが日本でじわじわきてた当初からアカウントを乗り換えつつ10年ほど使っています。
昨年からのコロナの影響でTwitterは愚痴や怒り、晒しなどが爆発的に増えました。
自分のTLを隅々まで読むのが日課だった私もさすがにつらくなっていました。
特に私のリアルの友達だけでフォローしているアカウントは本人も愚痴を言うし、RTでも他人の愚痴が流れてくる状況でした。
(私の日頃のツイートももともと愚痴満載で鬱陶しいので人のことは言えないですが)
これはいけない!なんとかしなくては!
と、思ったわけではなく、ただ単に最近ラストを迎えた長編作品のネタバレを見たくなくて一時期Twitterを封印していました。
Twitterにこんなに触れないのはこの10年初めてだったかもしれません。
すると、どうでしょう。
あんなに荒んでいた心が浄化されていきます!
ってところまですごくはないんですが、実際とても心が軽くなったと感じました。
顔も名前も知っていて長い時間一緒に居る友人の愚痴を目にすること、匿名の誰かの愚痴が毎日流れてくるのを見ることは私にとってかなりの毒だったのです。
私は他人に共感する力がとても強いと自分で思っています。
誰かが泣いている映像を見れば涙が出そうになるし、誰かが援助した話を見れば援助された側の気持ちになって泣きそうになるし、誰かが怒っている映像を見るとピリピリしたりもします。
全て自分には少しも関係がない話でも、です。
そんな私が人の愚痴、つまり悲しんでいる、怒っている文章を見てしまうと自然にそちらへ気持ちが寄っていってしまいます。
このことに気づくのにかなりの時間がかかってしまいました。
ありがとう、長編作品のラストネタバレへの恐怖心。
私は実は去年の秋頃からそういうマイナスなツイートは見ないようにしていたつもりでした。
そういうツイートを読めば、自分に影響するのはわかっていたからです。
でもそれでは足りなかったようでした。
愚痴ツイートを見つけてそこだけ読み飛ばしていたとしてもそこにその文章があってマイナスな単語(嫌い、辞めたい、うつ、イライラ)がチラッとでも目についただけでこれはマイナスなことが書いてあったと気づいてしまうんです。
それにずっと引っ張られ続けていたようでした。
長編作品のラストは先日見ることができて、もうネタバレの心配をする必要もなくなったのですが、これからもあまりじっくりTwitterを見ることはやめておこうと思いました。
SNSの言葉との付き合いはほどほどに。
ナツハシさん