ナツハシさんのなるようになっていきたい日記

30代女性独身無職ナツハシさんがなるようになっていく姿を見守っていただきたい

遠い未来のことを思ってしまう

ナツハシさんです。

いつの頃からか遠い未来のことを思ってしまうようになりました。
100年1000年とかではなく、人間としての現実的な老いの後半くらいのところ。
誰かのTwitterの投稿で「アラサーはみんなこの時期老いのことやこの先のことを思うのだよ」というものも見かけました。
(アカウントと元の文章は失念しましたので内容はぼんやりですけど)

私の場合は私が先に死なない限りは同居している家族の死は避けられないわけです。
そのことをここ数年ずっと強く考えて時には不安定になることもありました。
実は今でもかなり不安定になります。
でも、気づきました。
今なにかすぐに起きることは天災や事故じゃない限りは起こらない。
そういえば、似たようなことを担当のカウンセラーさんにも言われてます。


ここ数年私がずっと思い悩んでいた
「これからどうにかなってしまうかもしれない」
「この家族の不調はこれからもっと悪くなるかも」
などは結局のところ私の思い過ごしだったり私が安定した気持ち・生活で居たら改善できるものもありました。

世の中では将来に備えろ、という話に溢れています。
でも私は今を生きるのが良いのかなと思います。
先のことを思いすぎるのはつらいです。
今から30年とか自分がどうなっているのか想像するとやっぱり悪いものになってしまうので。
年金もいただいてることですし、精神障害者としての毎日の過ごし方・生き方を模索していきたいです。
ちょっと一般的な生き方とは違うかもしれませんけど、今できる最善を毎日送っていきたいです。

ではまた。

生きる意味とは。

ナツハシさんです。

今まで生きる意味とは、目標とは目的とは、と考えていました。
でも、とあるYouTuberの人がこの話題を視聴者から投げかけられた時「なんとなく。あー今日も仕事だなーとかそういう感じで生きている」と言っていました。
そういえば、学生時代はそんな感じだったかもしれません。

私の学生時代は志望校を目指す、部活をやるという一般的な学生スタイルでした。
学校はあまり行ってなかったですが、周囲は良くしてくれたのでそれなりに学校生活送れていました。
あの頃の頭の中は日々だらりと過ごしていた気がします。
家庭環境のせいで落ち込み気味になることもありましたが。
生きる意味とは……のようにはあまり考えてなかったような気がします。
クラスメートのこと、勉強のこと、受験のこと、部活でのいざこざ。
やっぱり何かに属するのは大事なんですね。良くも悪くも。

結局生きる意味とはってことをあまり考えなくてもいいのかもなと思い始めています。
何かを成し遂げられる人もいるし、のんびり生きる人もいる。
私の弟のように生命活動(食事や排泄、本人の意志なのかわからない動きや表情)をしてるだけでみんなに愛された人もいます。


最近、弟のことを考えることがあります。
「生きる意味とは」と弟のことはセットで出てくるような気がします。
以前にも書いたかもしれませんが、弟は重度障害者です。
数年前に病気で亡くなりました。
弟は十数年施設で暮らしていて父がよく世話をしていました。
弟が施設に暮らしている間、私は父と一緒に何度も施設に行きました。
施設には全然動けないし喋れないし生命維持の機械が手放せない人がたくさんいます。
命についてすごく考えさせられました。
弟の存在も亡くなったあとの現在でも未だに整理がつかない気持ちです。
このこと自体もきっとそんなに考え込むことじゃないのかもしれません。
動けなくても喋れなくても愛される人がいる。愛される世界がある。
これでいいのかもしれません。

ちょっとぐるぐるしちゃった。
ではまた。

7月の生活報告。

ナツハシさんです。7月の生活報告です。

風呂 9/31

現状維持です。よかった。
風呂への気持ちが前向きになったものの、いまいち回数としては入れなかったなと思います。
夏の風呂は気持ち良い。それがわかったような気がします。
去年も言ってたかもしれないですが、私は自律神経がちょっとおかしかったので夏でも全然汗をかかなかったのです。
夏だから風呂に入ってスッキリ~のような気持ちがわからなかった。
今年はバンバン汗をかいているので風呂に入ろうという気持ちが高まっています。
8月に期待。

[睡眠]
薬が増えたおかげで結構眠れています。
睡眠の質もまぁまぁ良いと感じてます。
悪夢をあまり見なくなりました。
薬でしか眠れないのかと少し落ち込んでしまいますが、今はこれでよいでしょう。
起床時に身体が痛くなってるので枕を購入するか変更するか悩んでいます。

銃撃事件の犯人の動機が宗教に関するものだったことでニュースやワイドショーはずっと宗教のことを取り上げていますね。
私の両親も宗教に入っていてしかもそれぞれ別の宗教でした。
両親は救われたかもしれませんが、私自身は嫌な目に遭った記憶しかなく宗教には嫌悪感があります。
なので、私はどこの宗教にも属していませんし、これからも何かを信じることはないと思います。
連日宗教の話題が取り上げられるのはいろいろと思い出してしまってきついです。
年内にはもう少し報道も落ち着いてくれたらいいなと思います。

ではまた。

自分の人生に期待しすぎているのではないか

ナツハシさんです。

最近思うのは「自分の人生に期待しすぎているのではないか」ということです。
情熱大陸でで映像作家さんが「希望は持つけど期待はしない」と言っていたのが印象的でした。
(ちょっと細かくおぼえてないのでそういうニュアンスのことです)


私は自分の人生に期待してたんだなぁと気づきました。
小中高と保健室登校をしていて、将来に対する具体的な対策も考えずに「大人になったらこの体調不良から抜け出して普通に働けてるはず」と期待しました。
普通に考えるとそんなことはないですし、だからといってサポートしてくれるような大人も周りにいませんでした。
高校を卒業したらみんなそれぞれ進学したり就職したり、私の周りにはいませんでしたが夢を追いかけたり留学したりなんて人もいたと思います。
私は大学に行かせてもらいましたが、そこで今の病気を発症しました。
それもまた発見が遅れて結局就職してすぐに今の診断に……ということで。

ようやく普通の生活(大卒で会社に入って会社員としてしっかり自立する)をつかめると期待していたのに残念でした。
でも今まで病気のことをほったらかしにしていたわけですから、やはりまずはこの病気とうまく付き合っていくことを考えていくほかありません。

今の私には夢も希望もありません。
不安とか日常の中でランダムに起きる病気の症状に苦しむことが多いです。
好きなことをやってるときでさえ、罪悪感に襲われます。
今私は笑っていていいのだろうかと思うこともあります。

全ての期待を折られてこれからどうしていくのか考えていますが、まだ明確に何か決まったわけではありません。
今は親も友達も居ますし、愛する猫もいます。
でもその人たちすらいつかは去っていったりお別れしたりするんだと思うとすごく寂しく悲しくなります。
当たり前のことなんですけど、今すぐは起こらない可能性のほうが高いけどやっぱり不安になります。
まぁこの強い不安は病気の症状かもしれないんですけどね。

結局のところ希望を持つためにはどうしたらいいのか、私にはまだわかりません。
大人になってから希望を持てたことがないので。
期待じゃなくて希望を持つ方向に考え方を変えていかないとなとは思います。
この歳になって考え方を変えるのは容易じゃないだろうけど、そういう努力をすればまた何かが変わるのかも。
こういうのも期待なのかな……。希望ってなんだろう。

のらりくらり書きました。
ではまた。

友人の結婚について

ナツハシさんです。

友人の結婚について。
いや、友人に限らず身の回りの同世代の結婚について。
思うところがあります。

自分の同世代は結婚ラッシュです。アラサーなので。
みんな自分が子として居た家族から自分がメインとなる家族を作っていくわけです。
自分がメインって書くとおかしいかな。中心となって動くみたいな意味合いです。
私はたぶんそういうところへは行かないかなと思います。
無職ですし、精神障害者ですし。

友人の結婚について思うところがあるのは、一度友人のパートナーさんに無視された経験があるからです。
挨拶も無視、お土産渡すも無視、一緒に居た数時間最初から最後まで無視でした。
会ったのは一度だけだし住んでる場所が遠いからそんなに会わないだろうからいいんですけど、傷つきました。
友人には障害のことを言っていません。
でも友人に障害が原因で嫌な思いをさせたことがあるのでそれかな……?とは思います。
少し調べてみたら「友人のパートナーに無視される」は結構あることのようです。

それで、私が困っているのは他の友人たちのパートナーさんと会うときにすごく怖くなってしまうことです。
私は不安の症状を持っているので不安で仕方なくなります。
別にそこにパートナーと一緒にいなくてもいいだろってタイミングでも居たり。
パートナーだから一緒にいるのが当たり前なのかもしれませんが。
前述の無視のパートナーさん以外はいまのところみなさんよくしてくれますが、そもそも男性が怖いので知らない男性がいるときついです。
でも友人にパートナーと一緒に来ないでとも言えないし……。

もしかしたら、私もそういうことを前に交際してた人としちゃってたかもなとも思うので申し訳ない気持ちも芽生えてきます。
どこでも一緒に居る、みたいな。

今回のテーマはこれからきっとまた起こるかなと思う内容なので書いておきました。
対策としては「パートナーさんとの間で嫌なことがあったら忘れる」「パートナーさん自体は友人じゃないからと念じる」でしょうか。
同じことが起きないように願っています。

ではまた。

文句を言ってくる人間との会話は人生の中の一瞬。

ナツハシさんです。

大人になってからの記憶が薄いです。
最初に精神疾患を診断されたのは高校生の頃でした。
当時は今のような大変な状態になるとは想像ができず、それなりの年齢になればみんなと同じように普通に働いているだろうと思っていました。
今ならなんでそんな夢みたいなこと思ってたんだろうと思いますけどね。

大学卒業後に診断名が変わって、入社して数ヶ月の会社をやめました。
周りからは散々「籍は置いておけば」とか「今やめなくても」とか言われました。
何年も働いている方だったらもちろんそうしたらいいと思いますけど入社すぐで復帰にどれだけかかるかもわからないのは不安しかなかったです。
周りの人は好き勝手言いますからね。

もちろんその後も劇的に良くなることもなく、ぼんやりと日々を過ごして今に至るということです。
たまに友人や親戚に誘われてお茶したりイベントに行ったりしましたし、自分でも旅行に行きました。
でも単発の記憶としてあるだけで、日々の記憶が薄いのです。
例えば学校に行っていれば今夏休みですし、社員として働いていればお盆休みがあります(休みの話ばかり言う)
私はテストも昇給もボーナスも年末調整もなにもありません。
そもそもそういうさまざまな社会的イベントは嬉しいことばかりではないですが、しっかり社会に属しているのが私は羨ましかったです。

でもそんなことばかりは言ってられないのです。
今まで「精神病ならおとなしく鬱々と家に居ろ」みたいな無言の圧力を感じてきました。
もうそういうのはおしまいにしたいんです。
精神疾患は周りにわかってもらうのが難しいです。
だから自分の意識の中でだけでも思っておきたい。
「持病として精神疾患があり、元気なときは外で遊んだりもできる」
「いつも元気に見えるのは元気じゃないときを見せてないだけ」

一般社会に戻ることはできないとわかったのでこれからは好きに生きようと思います。
これから何をしていくかはこれから考えますけど。
(そもそものこのブログの当初の目標は「なんらかの形で働く」だったのでそれとは違う方向性になってしまいましたが……。)
「甘えてる」とか「いつ働くの?」とか言ってくる人間との会話は人生の中の一瞬だから耐えます。

それではまた。

自分の病気と自分の精神を切り離すこと

ナツハシさんです。

精神疾患なのに病気と精神を切り離すとはなんぞやという感じだとは思います。
私が言いたいのは「嫌な考えや行動をしてしまったときにそれは自分のせいか病気のせいか」ということです。

私の場合、病気の悪化時によく起こることがいくつかあります。
・幼少期のことで親を激しく責める
・死ぬ想像をする(実際に行動はしない)
・悲しくなって泣く

このような場合、全て病気が原因です。
一番上の幼少期の件はその事自体ずっと心の根底にあるので、病気が酷くなると目の前にいる本人に言ってしまい、たちが悪いです。
私は精神科の診察の他にカウンセリングも受けているので、幼少期の件は一緒に考えてもらおうと思っています。
ただ、現在病状が不安定で今の不安定さを話すのが精一杯です。
幼少期の話をするのはまだまだ先になりそうです。

このように病気なのか、自分の思考なのか、切り分けていくのは今後の課題だなと最近思っています。
今まで死にたいとか誰かを激しく責めるとか泣く、悲しいなど全部自分が現在本当に思っていることなんだと思ってました。
でも、実はマイナスの感情の大部分が病気によって作られているのではと気づきました。
(先日のブログ記事と重複しますが……。)

今後もずっと働けないとしても、普通にしんどいので自分でできる精神の改善をもっと進めていく必要があると思いました。

ではまた。